『カラダという書物』

2019-01-13
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私の軀はどこまでが軀なのか?

この問いの答えは密接に身体觀とかかわっており、必然的に宇宙觀にもつながっていく。

この肌に覆われた物質だけを軀と視るのは、あまりにも洗脳されている。

本のはじめのほうに魚の身体觀がでているが、己を視れぬ位置についている魚にとって、もしかすると宇宙そのものが軀なのかもしれぬ。

極論、単体なる軀は存在しない。

それが故に、花を愛でれば、我が身もともにはかなしという感覚が全身をかけめぐり、やがてはそれが道徳となっていった。

一億総家畜化時代の我が國においては、やはり江戸の躾教育が見直されるべきである。

躾:身さえ美しければよしとする國字になる。

#リジチョー。

 

 

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